古代文明(3)

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フリーメイソン(1)「アカデメイア・幾何学とフリーメイソンの関係」
フリーメイソン(2)「プラトン・アカデメイア・幾何学知らぬもの、くぐるべからず」
フリーメイソン(3)「古代文明(1)」
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古代イランとミトラの母、スィームルグ文化

古代エジプト

現在ナイル川の西地域は砂漠地帯となっていますが、1万年前のエジプトは湿潤時代であり、植物が繁茂し、動物が生息し、人類の居住も確認されています。7千年前ごろから徐々に乾燥化が始まり、しだいに人間の生活環境はナイル川流域が中心となっていきました。

古代エジプトは上エジプト(タ・シェマ)と下エジプト(タ・メフ)という2つの地域に分けられていました。これはエジプトのライフラインである一筋に流れるナイル川の上流が上エジプト(南)、下流が下エジプト(北)と対応しているからです。しかし、上エジプトはナイル川以外は不毛の砂漠地帯であり、広大なデルタ地帯が扇状に広がる下エジプトとは生活習慣や文化にも違いがありました。

また、上エジプトと下エジプトの結節点近くに最古の農耕・牧畜の痕跡があり、これをファイユーム文化と呼んでいます。

ファイユーム文化は紀元前5230年頃から始まり、その後1000年あまり継続しました。しかし終末期旧石器時代からこのファイユーム文化の間には1000年以上の時間的隔たりがあることが判明しています。つまり、農耕・牧畜の技術を持った人々が外部からこの地域に入りこんだのでしょう。これが以前言ったように、メソポタミアから出たイシヤがエジプト入りしたということだと思います。そしてこの文化が古代エジプト王朝の基礎を築きます。

さて、ナイル川周辺にいくつか文化が栄えましたが、上エジプトから広がったナカダ文化(紀元前4000年頃)が下エジプトに定着していき、各文化の独自性が失われ、エジプト全域に広がります。そしていくつか存在しただろう地域政体を統一させた象徴としてプスケントという紅白の冠のレリーフが発見されています。

プスケント

古代エジプトのファラオが着用した紅白の冠。 下エジプトの冠であるデシュレトと上エジプトの冠であるヘジェトという二つの冠を組み合わせて作られているためファラオの二重冠とも呼ばれる。この冠は南北統一の象徴としてファラオのみが身につける事を許された物であった。

デシュレトとは、下エジプトの支配者が被る紅色の冠。コブラの女神ウアジェトを象徴する。

ヘジェトとは、上エジプトの支配者が被る白色の冠。ハゲタカの女神ネクベトを象徴する。
(ウィキペディアより)

さて古代エジプトの王朝はこの南北政体統一後の第1王朝(紀元前3000年頃)から紀元前30年にプトレマイオス朝が共和制ローマによって滅ぼされるまでとされています。

次回に続く。