古代の人々の死生観

前回の記事はこちらをクリック

アカデメイア・幾何学とフリーメイソンの関係
プラトン・アカデメイア・幾何学知らぬもの、くぐるべからず
古代文明(1)
古代文明(2)
古代イランとミトラの母、スィームルグ文化
古代文明(3)

古代の人々の死生観は生と死の境はあいまいで、
肉体が死んでも関係性はそのまま続くという史観であった。
それが古代のピラミッドやミイラ作りに表れている。
ミイラ作りは来世・復活信仰と密接に結びつき、
オシリスの神話にもとづいて行われていた。
紀元前3500-3200年ごろにはすでに人工的な遺体の保存ができていた。

基本的に人間は「死後の世界」を信じるから宗教を持つのではないだろうか?

古代エジプト神殿や日干し煉瓦の長方形の砦といった建築物は
メソポタミアの建築様式の影響を受けていることがわかる。
また
長方形プランのマスタバ式王墓がいくつか発見されており、
一部では船を入れるための囲いがあるものも発見されている。
死者が死後の世界を旅するための船であると推定されているが、
もしかしたら氷河期が終わり、洪水が各地域で起こった潜在意識が
あったのかもしれない。(または、語り継がれていたのかもしれない)

最初のエジプトの繁栄期であった第3王朝第2代のジョセル王が建設した
階段ピラミッド(紀元前2650年頃)は有名である。
もともと一般的なマスタバ式で建設される予定だったが、
高級神官であった宰相イムホテプにより東側に向けて何度も拡張が繰り返され、
最終的にマスタバを6段積み重ねたような長方形の階段式王墓となった。
全体を石造で建設する建造物としてはエジプト史上初のピラミッドである。

この宰相イムホテプは祭儀文朗読神官長の地位にいて、
この階段式ジェセル王のピラミッドの設計者であり、また内科医でもあった。
この幾何学シャーマンはメソポタミア出身のイシヤの末裔の可能性が高い。

また興味深いことにジェセル王以後、ファラオの公式名に
ホル・ネブウ名(黄金のホルス名)が加わり、
即位後ファラオの五重名という宗教的な5つの名前を持つことになる。

1)ホルス名
2)ネブティ名(二女神名)
3)黄金のホルス名(ホル・ネブウ名)
4)ネスウト・ビティ名(上下エジプト王名、即位名)
5)誕生名(生まれつき呼ばれる名)

現在、この黄金のホルス名が何のために導入されたのかわかっていないが、
ウィキペディアでは

「ネブウ(黄金)とは恐らくセト神の町オンボス(ナカダ)を表し、
この名の使用はセト信仰に対するホルス信仰の勝利を収め、
ホルス神の化身としてのファラオの権威の確立を表すと考えられることもある」

と、説明されている。
わたしは、このネブウ(黄金)という名称は古代からイシヤが黄金を集め、
エジプト入りし、エジプトでも黄金を集め、
その黄金の管理者としてのタイトル名ではないかと思う。
実はこの黄金管理人を指す名称が日本にも世界にもあるからである。

さて、この宰相イムホテプが設計した階段ピラミッドは
その後のピラミッド建設に影響を与え、
マスタバ式から真正ピラミッド形式と変わる。
エジプト第4王朝期には経済が成長しピラミッドの建設が最盛期を迎えた。
またその時のスネフェル王は外国にも遠征隊を派遣して勢力範囲を広げていた。
世界初の真正ピラミッド「赤いピラミッド」はスネフェル王の時代である。

その後、クフ王の時代に、世界最大のピラミッド「ギザの大ピラミッド」が
建設され、カフラー王が「カフラー王のピラミッド」とその門前にある
「ギザの大スフィンクス」を建造し、ピラミッドの建設は頂点に達した。
(スフィンクスの年代に異議ある学者もいる)

古代超スーパーゼネコン時代である。

この時、エジプトの主食は麦でピラミッド建設に携わっていた労働者たちは
パンやビールを飲んでいたとのこと。
わたしはこのパンやビールに罌粟が入っていたと思う。
それは鎮痛をやわらげ肉体労働をこなせるようにするためである。
また労働者を食べさせる食料も十分であったと思う。
つまり、労働と供給を一致させた技術進歩と経済成長の時代であった。
一部ではピラミッドは王墓ではなく、
ナイル川の氾濫で一時的に職を失った農耕民のための失業対策であった
という説があるが、これは有力な説だと思う。
しかも「建設期間は20年」は、歴史家ヘロドトスの著書『歴史』を
根拠にしているだけであり、これが活字にしてしまうと
嘘も本当になってしまう文字による歴史操作の恐ろしさである。

またこのクフのピラミッドは4本のシャフト(通気孔)が
天空に向かって存在し、王の間のシャフトはオシリスを表すオリオン座の星を、
女王の間のシャフトはイシスを表すシリウスの方向を示している。

イシスはエジプトにとってナイルの土壌を表す豊饒の女神であり、
オシリスは魂の不滅と再生に大きく影響していていた。

この4本のシャフトは子午線上に位置し、
オシリスのオリオン座とイシスのシリウスが重なって
ピラミッド内に生まれる魂(光)がオシリスとイシスの息子の
太陽神ホルス(ファラオ)なのでしょう。
エジプト再生思想です。

ピラミッドの建設も頂点に達すると、あとは後退に向かいました。

「その後はピラミッドの意味が変質してクフ王時代のような
巨大な石造りのものを建てられることはなくなり、
材料も日干しレンガを使用したことで耐久性の低いものとなった」

と書かれていますが、経済成長も後退、または設計技術者の流失を防げず、
(またはイシヤがエジプトから密かに去った)設計技術が劣り、
経済が縮小したのかもしれない。

またピラミッドの建設方法は内部通路説が現在では有力である。

内部通路説
フランスの建築家が提唱した説。元々は同じ建築家だった父親の、ピラミッドの中にらせん状の通路があるはずだという発想から始まっている。この説を受けて現地の調査でも内部通路がふさがれた跡が見つかったり、1986-1987年のフランスのピラミッドの重力分析によって内部に15%のらせん状の空洞の存在が示唆されていたことが改めて着目されるなど、注目を浴びている説。内部の通路の傾斜は4度、総延長は1.6kmで内部の比較的浅い場所を4-5周まわって頂上近くにまで至っていると予想されている。下1/3の建築には直線傾斜路が使用されたとされる。これは前述の60tの花崗岩などを運ぶ必要があるため、内部トンネルだけでは建築できないためである。この時に大回廊にはバラストと搭載したソリが設置され、エレベーターの原理で石材の引き上げがおこなれていた。用が済んだ直線傾斜路は解体され、その石材はピラミッドの建設に転用された。崩壊したアブグラブ神殿でも同様の内部トンネルが確かに存在したことが確認されている。

次回エジプト終末思想へ続く

1 個のコメント

  • AI より:

    ナイル川に沿った肥沃な土地は食べきれないほどの余剰農産物を生み出したため、
    それを消化させるためにピラミッド建造という超スーパーゼネコンな仕事をして
    余剰農産物を消化させた。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です