寓話「11番目のコイン」

昔々、アウトバックという小さな村では、人々は物々交換をして暮らしていた。
市場のある日には、人々はニワトリ、卵、ハム、パンなどの間を往来し、
欲しいものを見つけては売手と長い交渉をしていた。

そしてまた、刈り入れの時や誰かの納屋が嵐で被害を受けた時には、
昔からの習慣でお互いに助け合ってきた。
誰かが助けを必要としていたら、他の者が助けるのが当然だと、皆思っていた。

ある市場の日、黒光りした靴に豪華な帽子をかぶった見なれない男が村にやって来て、
冷ややかな笑みを浮かべて、その市場の様子を観察していた。

ある農民が大きなハムと交換するために六羽のニワトリを捕まえようとして
追いかけているのを見て、その男は笑いを抑えることができなかった。

「かわいそうな者たち。あまりにも原始的だ」

その農民の妻がそれを聞きつけ、
「じゃあ、あんたはどうやってあのニワトリたちを上手く捕まえられるか、
知っているのかい?」と憤慨(ふんがい)しながら尋ねた。

その男は、「ニワトリを?もちろん無理さ。だけど、そんなことより、
これらすべての問題を解決する方法を知っている」と言った。

「ほう、どうやってさ?」とその妻は聞き返した。

それに対して男は、
「ほら、あそこに木があるだろう。あそこでわたしは待っているから、
あなた方の誰かが牛の皮を持ってきてくれ。
そしたら、この村のすべての家族を集めてくれ。
そのとき皆にもっと良い方法を教えよう」

そしてその通りにことが進んだ。
男は牛皮を切って沢山の円形の皮を作り、
そしてそれぞれに念入りに烙印を押した。

その後、各家族に10の皮コインを渡し、
1つのコインが1羽のニワトリの価値に相当することを教えた。

「これであなたたちはいちいちニワトリを追いかける必要がなくなるだろう」
と男は言った。

皆は「確かにそれはいいぞ」と思い、その輝く靴を履き
帽子をかぶった男に感銘を受けた。

「ところで」とその男は続け、
「来年の今ごろ、私はまたこの同じ木の下に戻ってくる。
そのときに皆さんは私にそれぞれ11のコインを渡して欲しい。
私のおかげであなた方の暮らしが良くなるのだから、
そのお礼だと思って欲しい」

これに対して、例の「六羽のニワトリ」の農民は聞いた。
「どこから11番目のコインが出てくるんだい?」

すると男は「いずれわかる」と、力強い笑みを浮かべた。

 

その村の人口と年間の生産力がその後一年間同じだったとして、
あなたはその一年間に何が起こったと思うか?

ここで思い出してほしいのは、
男が決して11番目のコインを作らなかったことだ。

ということは、基本的にもし11の家族があれば、
そのうちの一つの家族はすべてのコインを失うということになる。

嵐が迫っていてある家族の畑が危機にさらされているとき、
他の家族たちは昔と同じように、自分たちの時間を使って
その家族を助けようと思うだろうか?
それとも、そういった寛大さはより失われていくのだろうか?

起こった出来事は後者の方だった。

そのコインは市場の日にはとても便利だったが、
一方で、それまで村に存在した自発的な協力の伝統をなくしてしまうという、
予想外の副作用も現れた。

その新しいお金をめぐるゲームは、参加者全員の間に
制度的な競争を生み出していたのだ。

 

意図的に「不足」を作り上げる。
利子は分割統治と淘汰の道具である。

安西正鷹著書「国際金融資本がひた隠しに隠すお金の秘密」より