アカデメイア「幾何学と古代フリーメイソンの関係」

以前のサイトでわたしはフリーメイソンとルネサンスの関係を四回に分けて書きましたが、サイトのデーターベースを壊され、その四つの記事が最近の記事であったため、消滅していしまいました。以前の記事の復元は出来ませんが、その後、知識も増えましたので、これを機に、以前書いたことよりもうすこし深く掘り下げていこうと思います。

最初のフリーメイソンのグランドロッジである英国グランドロッジは1717年に設立した
という記録がありますが、フリーメイソンの基礎となる思想はもっと昔にさかのぼります。

ここでは、古代ギリシアにさかのぼりますが、そのころフリーメイソンはありませんので、
もちろんそういった秘密結社を意識した集まりではなく、
あくまで古代の知識人の集まり、それが後のフリーメイソンへと発展した、ということです。
なので、歴史的にフリーメイソンとカトリックが対立していたのも理解できると思います。

 

【アカデメイア】

もともとアカデメイアとは、古代ギリシアのアテナイ北西部郊外にあった神域であり、
そこにギュムナシオン(体育場)があった。
ギュムナシオンは古代ギリシアの公共の競技施設だが同時に社交の場でもあり、
哲学、文学、音楽の講義やディスカッションも行われ、公共図書館が併設されていた。
これが、アカデメイア=アカデミーの起源である。

ルネサンス期のメディチ家による人文主義者の私的サークル「プラトン・アカデミー」は
ここから言葉が用いられることになるが、これは後で説明します。

古代ギリシア人は運動と教育と健康は深い関係があると考えており、
それに応じ、ギュムナシオンは次第に、教育部門、医学分野にも発展していく。
そのため、身体を鍛えようとする若者以外にも、
知的な人々もギュムナシオンに集まるようになった。

古代ギリシア時代の古代オリンピックにならい近代オリンピックを提唱したピエール・ド・クーベルタン男爵は、フリーメイソンである。1894年国際オリンピック委員会(IOC)設立時のメンバーであったアンプティル男爵は1890年にフリーメイソンリーに入会した。初期IOCメンバーで初代イギリスオリンピック委員会会長のデスボロー男爵は、1875年にフリーメイソンリーに入会した。(ウィキペディアより引用)

アテナイには、大きなギュムナシオンが3つあったとされ、
それぞれの場所には異なる神の像が捧げられていた。
そのうちのひとつが、アカデメイアであり、
それがのちに「プラトン・アカデメイア」になる。

アカデメイアの他に、リュケイオンとキュノサルゲスもある。

リュケイオンはアテナイの東部郊外に所在し、アポロンを捧げ、
プラトンの弟子であった、アリストテレスと彼のパトロンであった
アレクサンドロス3世によってリュケイオン学園が開設された。(紀元前335年)

キュノサルゲスはアテナイの城壁の外に隣接し、ヘラクレスを捧げ、
キュニコス派のアンティステネスが講義をした場所と言われている。

そしてアカデメイアでは、ソクラテスが熱心に教え回っており、
その弟子であったプラトンが紀元前387年に学園を開設した。
また、初期のアカデメイアでは、算術、幾何学、天文学等を学んだ。

特に、幾何学は、感覚ではなく、思惟によって知ることを訓練するために必須不可欠のものであるとの位置付けで、学校の入り口の門には「幾何学を知らぬ者、くぐるべからず」との額が掲げられていたという。

プラトンは青年時代、レスラーだったということも興味深い。
プラトンという名前はレスリングの師から付けられた仇名であると言われている。

プラトンは、学園を開設する前に、イタリア、シケリア島、エジプトを遍歴している。
次回はこのプラトン・アカデメイアに焦点を当てていきます。

結局、ギュムナシオンはローマでは流行らず、東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世の
非キリスト教的学校の閉鎖政策によって、アカデメイアは529年にその歴史を閉じた。
「多神教」というところと「哲学」という部門が
軍事的に必要性が無かったと判断されたからであろう。(必要性というより邪魔)
そして、ギリシア哲学はヨーロッパでは忘れられていった。

西洋ではギリシア語の読み方がわかる人も減少する中、
皮肉にも、ギリシア哲学はイスラム圏へ伝播した。

イスラム教アッバース朝のカリフたちはギリシア哲学の写本を収集して、
彼らの文脈の中でギリシア哲学を解釈し直した。
それが後の中世期のヨーロッパに伝播し、今度はアラビア語からラテン語への翻訳を通し、
中世哲学に多大な影響を与え、ギリシア哲学は復活した。

古代ギリシアの叡智の人の群『アテナイの学堂』ラファエロ・サンティオ

そして、こうした知的サークルが後に、近代フリーメイソンへと発展していくことになる。

次回に続く。