古代文明(1)

さて、前回2回に分けて古代ギリシャのアカデメイアでは
幾何学が大切だと解説しましたが、
プラトンもピタゴラスも古代エジプトで幾何学を学んだとされています。

では古代エジプトではいったい何があったのでしょうか?

前回の記事はこちらをクリック

フリーメイソン(1)「アカデメイア・幾何学とフリーメイソンの関係」
フリーメイソン(2)「プラトン・アカデメイア・幾何学知らぬもの、くぐるべからず」

古代エジプトと言ったらやはりピラミッドが有名です。

また、一神教の始まりは古代エジプトだと以前お話もしました。

古代エジプトと一神教の始まり

今回の古代文明の始まりはメソポタミア文明と
約500年遅れて始まったエジプト文明の
二大文明とされています。

そのほかのインダス文明や黄河文明は
文明人の移動とともにそういった川の地域で発展したので
実際にはメソポタミアとエジプトの二大文明が
今回の古代文明の始まりです。

その以前に文明はあったはずなのですが、
現在の学者のレベルでは「文字がない」というのは
文明と認識しないようなので、文明と解釈しないそうです。

それとも、知られるとまずい事実でもあるのでしょうか?
残念なことです。
文字を残さなかったのは文字を必要としなかったのか、
文字は人間の神性を奪うと知っていたのでしょう。

まず、500年早かったメソポタミア古代文明ですが、
場所的にはご存知の通り現在のイラクあたりです。
メソポタミア文明も地域的に細かく分けると
北部がアッシリアで南部がバビロニアになります。
そのうち、バビロニアの北部がアッカド、
川の下流地域(南部)がシュメールとさらに細分化されます。
基本的に南部の下流域であるシュメールから、
上流の北部に向かって文明が広がっていったと言われています。
特に早かったのがメソポタミア南部の沖積平野での最古の文化で、
紀元前6500年ごろからメソポタミアに広がり始め、
イラク南部ジーカール県のウル遺跡の西6キロメートルにある
テル・アル=ウバイドという遺丘で発見された文化です。

そう、文字がないので文化と呼ばれています。
すでにその時代に、灌漑農業、車輪の導入がなされ
さらに帆船も存在していたそうです。

この分野では落合莞爾氏が先端を研究されていますので
彼の著書を読むのをお勧めします。
ちなみにこの文化を呼びようがないので
わたしたちは「ウバイド文化」と呼んでいます。

落合先生の動画はこちらをクリック

さて、過去何もなかった時代にさかのぼって考えてみると、
人間生きていくのに、不安になると思います。
まずは衣食住の確保、小さなコミュニティ(集落)で
助け合っていく。

人間の生と死だってきっと神秘的に思ったはずです。
また、動物、植物そして自然との関係。
人間が関与できない大自然の力。
そしてわたしたちの先人はその大自然の中に「秩序」を発見したはずです。

自然界の秩序の構造は宇宙的秩序に基づいている。

星、土壌といったあらゆる生命が相互に親密に結びつき
わたしたちの生活に関連してくる。
生死の繰り返し、季節の繰り返し。

太陽は東から登り西に沈む。
狩人や旅人は夜は星を頼りにする。
それは宇宙秩序を発見したからである。

そして太陽を求める太陽信仰がミトラ教として
メソポタミアからイラン高原に発展展開しました。

ちなみに「ミトラ」の名前はもともと計測を意味する語「メール」からで、
そこから等価の概念が生まれ、その後、正義や契約と発展していったそうです。
そう、ウバイド文化人は計測、測量の知識があったのです。
だからこそ、灌漑農業、車輪の導入が可能となったのです。

「ミトラ」が太陽の神になったのはその後です。
このミトラは最初はペルシアの北部ではミシア、
パレスチナではメシアになり、
仏教では弥勒、大日如来になったのです。

こちら「ミトラ」に関してはメソポタミア文明を研究している
栗本慎一郎氏の著書から引用しています。

つまり巷でいう、「メシア」信仰はミトラからです。
日本の皇「スメラ」もミトラからだと思います。

何故か?
こつぜんと消えたウバイド文明人がどこへ行ったのか?
彼ら同士を「イシヤ」という隠語で呼び合うそうですが。

次回は有史最古の宗教ミトラ教、
そしてエジプト文明へ移動します。

次回に続く。