創世記に登場するユダヤ祖先

天地創造からエジプト時代までを描くのが「創世記」です。
そして、ユダヤ教で最も重要視されるのが「トーラー」です。
「創世記」は、そのトーラーをの巻頭を飾る基本の書です。
では「創世記」には、いったい何が書かれているのでしょうか?

『初めに、神は天地を創造された。地は混沌(こんとん)であって、闇が深淵(しんえん)の面にあり、神の霊が水の面を動いてた。神は言われた。「光あれ」』

創世記は、神が天地を創造し、イスラエル人がエジプトで生活するまでの物語が綴られています。

神は、天と地と人間を含めた全てのものを創りました。

聖書によると、闇から光が生み出されるのが第一日目。
二日目には天。
三日目には海と陸と植物。
四日目には太陽と月、星。
五日目には魚と鳥。
六日目には野生動物から家畜まであらゆる地上の動物を創りその後、神の姿を似せて人を創造した。
七日目に神は、全てが完成した事を祝して安息日(休暇)を迎えたのである。

この頃の人間は、死ぬことのない霊的な存在で、正しく自然界に調和できる道徳的な存在でした。
そして、神は人間生活に大切な制度を設けました。
それは、一週間という時間軸と安息日の制定です。

さらに、土の塊からできた「アダム」と、
その肋骨からできたイブ(エバともいう)の男女を創り、
ともに力を合わせることを命じたのです。
しかし、人間に邪魔な知恵を授ける蛇の登場によって、神と人間の歯車が狂い始めます。

アダムとイブは「エデンの園」にある果樹のうち、
「知恵の樹=善悪の知識の樹」の実だけは食べることを禁じられます。

ところが、イブは蛇にそそのかされて、この実を食べ、アダムにも分け与えます。
(イブが先と書くのは旧約聖書においてであり、イスラム教のクルアーンにおいては、
どちらが先に口にしたかは書かれていません)

知恵の樹の果実を食べたアダムとイブの無垢は失われ、
裸を恥ずかしいと感じるようになり局部をイチジクの葉で隠すようになります。

神は事の次第を知り、知恵の樹の実を食べた人間が生命の樹の実までも食べ、
永遠に生きるおそれがあることから、アダムとイブをエデンの園から追放したのです。
この出来事を「失楽園」といいます。

そして、人間は必ず死ぬようになり、男には労働の苦役が、
女には男に支配され出産の苦しみが、もたらされるようになったのです。

蛇は神の呪いを受け、地を這いずることになります・・・
これが蛇に足が無いことの起源です。

余談ですが、「喉仏」のことを英語で「アダムのリンゴ」といいますが、
これはアダムが知恵の樹の実を喉に詰まらせたとする伝説に由来します。

神の命令に初めて背いた人間は、以後、その欲深さから、
あらゆる自然界のシステムを壊し始めます。
神は人間の行いに怒り、ついに地上に大洪水を起こし、世界を滅ぼそうとします。

ところが、聖書には救いの希望が一貫して流れており、
神は「ノア」という人間に世界の再構築を託したのです。

ノアは、ヘブライ語で「慰め」の意味です。
洪水物語の主人公でもあります。
アダムより数えて十代目の人物です。
洪水で生き残ったノア一族は、神の祝福を受け、新たなる人類の祖先となります。

それから、長い年月が経ち、神は「アブラハム」という人物の信仰心の深さを知り、
イスラエルの民族の父として、子孫の繁栄を約束し、
ここに「旧約聖書」の民であるユダ人が誕生したのです。

アブラハムは、 ヘブライ語で「多くの民の父」の意味です。
「民族の父」として、イスラエル人から最も高い尊敬を受けています。
また信仰の父としてもユダヤ教、キリスト教、イスラム教において、尊敬されています。

その後、ユダヤ 12 部族の祖「ヤコブ」の息子、「ヨセフ」が登場します。

ヤコブは、ヘブライ語で「取って代わられた」という意味です。
イサクとリベカとの間に生まれた双子の弟です。
イサクの家を出た後、神の啓示を受け、神と共にいることを確信します。

彼とその一族は、神の計画により、飢饉(ききん)からの避難として、エジプトに移住し、
ここからユダヤ人のエジプトでの生活が始まることになるのです。
そして「創世記」は、エジプトに、そのユダヤ人を残したまま幕を閉じたのです。